やりたくないことはやらない

やりたくないことはやらない。といっても「そんなワガママ許されるわけないだろ!」って思っちゃうよね。確かに全部はそういう訳にはいかない。でも、普通に断っていいものまで無理してやってる人が多くないか?と、思う。

 

「これは嫌だからやめてください」とストレートにいうことは難しくても、「すみません、私はこれがちょっと苦手なのでこうしてもらえると助かります」みたいに言うことは出来る。でもそれすらせずに(やっちゃいけない、できないと思い込み)、「そんなことをやる人間が非常識!いい加減こっちが怒ってることを分かれ!」みたいにキレちゃう人がいる。

 

やめて、といっても相手が聞き入れてくれない場合もあるだろうけど、少なくとも「自分は言うべきことを言った」って、その件について区切りをつけることは出来るよね。相手に何も言わず、勝手にイライラを募らせて「分からない相手が悪い」と自分を正当化し続けてもどうにもならんのよ。私も以前はそういう人間だったから気持ちはものすごく分かるけど。

 

それに相手が「自分は別に間違ったことはしていない」という認識だったら、周りの人が密かに怒りを燃やしているなんて思いもしないだろう。そもそも「こうであるべき」と自分が考えてる規範は人それぞれ全然違うんだから。

 

どこかで聞いた話だけど、夫婦の片方がいつもコップに飲み残しを放置していることがもう一方にとっては耐え難いことで、常にイライラしてしまう、というようなことは割とあるケースらしい。こういった(あまりよろしくない)癖とか生活習慣の違いとかの中にも「自分の方が正しい!」がいっぱいあるんだよ。

 

そういうのにどうにか折り合いをつけていくのが共同生活であり社会だと思うんだけど、どうしてこんなにも「相手に直接言わずイライラを募らせる」パターンが多いかというと、「言ってダメだったらさっさと見切りをつける」という覚悟みたいなものが持てないからかな、と思う。覚悟っていうか、「そんな相手は要らん」と切り捨てていいと自分に許可を出すことというか。

 

そしてなぜ相手を切り捨てられないかというと「失敗したら終わり」とか「苦労を乗り越えてこそ」みたいなマジで害悪でしかない考え方が日本人の中に染み付いてるからなんだよね。ホント要らんわ、こういうの。日本の諺とか格言とか、一度見直して要らないものは教科書や辞書から削除した方がいいんじゃないの?

 

あ、そうそうバレーボールのサークルはもう辞めた(早)。もう少し様子見しようかと思っていたけど「これは無しだわ」と思うような発言が例の失礼なやつからあり、友達にも「ごめんだけど耐えられない」と言ったところ理解してもらえた(というか友達も憤慨していた)のでそのままあっさり2人で退部。

 

サークル辞めたいと言ったら友達が悲しむかな、と思ったのは私の取り越し苦労だった。やっぱりこういうのも素直に打ち明けるに限るね。